表題を読また方は、お気づきとなったかもしれませんが今回は今までとかなり毛色が違うテーマを書こうと思っています。ズバリ、「人間の心理と行動」です。
医療は患者さんと医療者との合意で治療が進みます。当たり前ですが合意が無いと何もできません。また、ネット社会の今、情報が多すぎると、かえって選択肢を選ぶことができなくなったりすることもあります。
今を遡ること26年前、開業直後の話からいたします。父の友人が患者としていらして下さいました。お口の中を拝見させていただくと、一本の歯が重度の歯周病でぐらぐらして今にも抜け落ちそうでした。そのため、抜歯が必要な旨を説明した所、ご立腹され、それ以後いらっしゃいませんでした。ところがその一年後のある日、突然来院され一言「抜け!」と一言おっしゃいました。恐る恐るお口の中を覗くと問題の歯は皮一枚でだけでつながっていて、いままで食事はどうしていたのだろうと思われるほどでした。おそらく心の中で「おまえは抜けと言ったが、一年間こうやって持っただろう」というお気持ちだったのだと思います。この時初めて、患者さんと歯科医の認識のギャップの大きさを認識しました。
また、実際に当院に新しくいらっしゃる方の訴えのほとんどが、『話を聞いてもらえなかった』と『説明が無かった』です。
この時から、なるべく話をお聴きすることや丁寧に説明すること、適切な資料を豊富に作成し用意しました。
しかし一向にそのすれ違いは埋まること無く、日々の臨床で患者さんの意思決定や行動の変化を支援することに悩む事は今でもあります。
今回、皆さんとお互いに歩み寄るヒントとして、人間の思考の枠組みを『行動経済学』の視点からご説明します。(行動経済学とは、人が必ずしも合理的に行動しないことに注目した心理学的な要素を取り入れた新しい経済学の考え方です)
医療の場で合理的は判断が成り立つには三つの条件があります。
1.本人に決める力があること
(自分自身の体の事について冷静に判断することは難しいことです。)
2.患者さんや家族にバイアスが無いこと
(いきなり聞き慣れない単語が出ましたが、バイアスとはその人の思い込みや考え方の癖などのことです。医療者が繰り返し説明しても開始を先延ばししたり、必要以上に不安に感じたり、身近な家族の意見だけを聞き入れたり人は都合の良い解釈をする傾向にあったりします。)
3.医療者にもバイアスが無いこと
(医療者にもバイアスがあります。代表的なパターンは「きちんと説明すれば患者さんは理解し適切な行動をする」という思い込み、すなわちバイアスがあります。そのためどうしても期待通りの行動をしない患者さんを怒ったり、嘆いたり、見捨てたりしがちです。)
このような理想的な条件が三つ揃うことは非常に少ないと考えるほうが現実です。そもそも人の判断は直感やその場の感情に影響された非合理的なものということが前提なのです。そこにすれ違いの原因があります。
次に当院での実際の例を挙げます。
例1 むし歯が進行し歯の神経を取らないといけないと説明したら、帰宅後インターネットで「どんな場合でも神経を取らなくてすむ治療法がある」という広告を信じて、その歯科医院を受診したが結局、かえって激しい痛みが生じた。
解説:人は得られることより失うことの方が心には負担をより感じやすい癖があるのです。これを行動経済学では「損失回避」といいます。歯科医側は客観的に判断できるので神経を取りましょうと提案しますが、患者さん側ではリスクがあっても1%でも可能性がある方を無意識に選択します。また、冷静に診断したことを患者さんに伝えると、気持ちをわかってくれない冷たい言葉と取られますし、その結果見捨てられたという気持ちにすらなることもあります。
例2 医療者が歯周病やむし歯の検査を提案したが、患者さんの協力が得られなかった。
解説:これには話を聞くといくつかの考えの背景があることがわかりました。
「自分はまだ大丈夫」という考えをお持ちのパターンと「検査をすると悪いところが見つかるのが心配」というパターン、「今忙しいから」と言われるパターンの場合があります。一人目の方の「自分はまだ大丈夫」考えを行動経済学では「現状維持バイアス」と呼びます。
津波が来ると避難が叫ばれても根拠無く自分には関係ないと考える無意識の思考です。
二人目の方は必要以上に恐怖心や不安を持つ事によって健診することですらリスクに繋がると考えて行動が取れないタイプの方もいます。
三人目の方の今は決めたくないというのは「現在バイアス」という先延ばしの人の心理です。明日からダイエットというのはまさにこの例です。
例3 「がん」になり、病院にかかったが、奥さんや近所の方に「抗がん剤は止めた方がいいよ」と言われ、医師の説明も受けずに、抗がん剤の治療を拒否し、代わりにがんが消えたという高額な栄養ドリンクを購入した。
解説:このように正確な情報を手に入れないかそうした情報を利用しないで、専門家ではなく身近な人の意見やすぐに思いつくような知識をもとに決断をおこなうことを「利用可能ヒューリスティック」といいます。先ほどのべた、インターネットで都合の良い宣伝を信じるのもこのせいです。
これらのバイアスは目の錯覚が何度説明されてもやはり同じ用に見えてしまうように人間が本質的に持っていてなかなか避けられない性質です
毎日のように報道されても「オレオレ詐欺」のように巧みに人の心の癖につけ込むような出来事があり、それどころか、年々被害は増え続けています。同じように心の癖によって。人は適切な判断の元に適切な医療を受けられずに知らず知らずのうちに健康被害を受けています。歯科医療でも粗悪なインプラントを言葉巧みにすすめられ、それには疑問を持たずに大金を支払う一方、予防医療により歯を守る医療の方は多くの方先延ばしにし、痛みなど困ってから歯科医院を受診しているのを見るにつけ、この状況を私たちはなんとかしたいと強く思っています。また、ネットを始めメディアはあなた個人の状況を把握した上で個別な情報を出しているのではありません。ご不安なことやご希望があれば、どのようなことでもお話しください。その上で一緒にどのような選択があなたにとって最善か相談していきましょう。皆さんに寄り添った医療に取り組み、信頼していただけるように努めて参ります。
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